支店網の銀行
一三九七年に始まったメディチ銀行は、ヴェネツィア(一四〇二)、ジュネーヴ(一四三五)、ブリュージュ(一四三九)、ロンドンとアヴィニョン(一四四六)と支店を伸ばし、十五世紀の半ばには欧州でいちばん洗練された銀行になりました。ただし「ひとつの銀行」ではありません。支店はそれぞれ別の契約と資本と帳簿を持つ独立した組合で、支店どうしも外の取引先と同じ条件で取引しました。支店長には少しだけ持分を持たせて、当事者にする。だからロンドン支店が傾いても、ローマ支店の債務には自動的には及びません。いまの多国籍企業の分散した組織が、六百年前にもう設計されていました。利子が禁じられていた問題は、為替手形で解きます。ある街で借りた金を、別の街の別の通貨で返させる。そのレートをあらかじめ有利に設定して、実質の金利をレート差に埋め込みました。皮肉なのは、この仕組みで動く銀行の最大級の預金者が、利子を禁じていた教皇庁だったことです。そして終わり方も、はっきりしています。「君主と政府には貸さない」という創業以来の内規を後継者が解除したあと、ロンドン支店はエドワード四世への貸付が焦げついて一四七二年に閉じ、ブリュージュ支店はブルゴーニュ公シャルルへの無担保の貸付で十万フローリンを超える損を出して清算されました。ルネサンスを支えた資金の流れは、自分たちの決めた掟を破ったところから細っていきます。