放送広告
一九二二年八月二十八日、ニューヨークのWEAF局から、クイーンズボロ社が集合住宅の宣伝を流しました。料金は五十ドル。世界初のラジオCMとされる放送です。ただし当時のやり方は「トール放送」と呼ばれる時間貸しで、番組の合間に短い広告を挟む今の形とは別物でした。面白いのは、この道が最初から歓迎されていたわけではないことです。その年の二月、商務長官だったハーバート・フーバーは全米ラジオ会議でこう言っています——教育と報道と娯楽のための偉大な可能性を、広告のおしゃべりに溺れさせるなど考えられない。電波は国民の資産だ、とも。いまの「無料のコンテンツは広告が払う」という常識は、当時の規制当局のトップの意向に逆らって定着したものでした。番組を作っていたのも、最初は局ではなくスポンサーです。石鹸メーカーが昼の連続ドラマを抱えたことから「ソープオペラ」という呼び名が生まれました。潮目が変わったのは一九五〇年代の後半、クイズ番組で解答を事前に教えていたことが発覚したときです。スポンサーが番組そのものを握っている構図が問題になり、議会が法を改め、局が制作の主導権を取り戻しました。