ハンザ同盟
本部も常備軍も持たない都市の連合が、共通のルールと相互の保護だけで、十四世紀から十五世紀を頂点に、欧州最大級の商圏を回しました。ただし「決める場所が無かった」わけではありません。ハンザ総会(ハンゼターク)という合議の場があり、そこでの決定には拘束力が期待されました。常設の役所も、外交団も、統一の金庫も、軍もない。けれど決める場所はある——中央の機関を持たないネットワーク型の統治、と呼ぶのがいちばん近いと思います。海の向こうには「コントル」と呼ぶ商館を置きました。ロンドンのスティールヤード、ベルゲンのドイツ埠頭、ノヴゴロドのペーターホーフ、ブリュージュ。どれも植民地ではなく、独自の規則と倉庫と礼拝堂と役員を持つ、法的な特権つきの商人の町です。面白いのは、本部が無いのに中心ができてしまったことでした。総会をどこで開くかは力関係を映す政治で、リューベックがいちばん多く主催した結果、「事実上の首都」という印象が残ります。制度は分権、実態はゆるやかな中心化。そして衰えた理由のひとつも、その合議の遅さでした。「組織の強さは中央集権に比例する」という直感への、歴史からの反例であり、同時に、その反例にも値段があったという話です。