均一価格
ウールワースの最初の店(一八七九年二月・ニューヨーク州ユティカ)は、三ヶ月で潰れました。同じ年の六月、ペンシルベニアのランカスターで開き直した店が当たり、五セント店は全米へ広がります。一九一三年には当時世界一高いビルを現金一三五〇万ドルで建てるまでになりました。日本へは一九二六年、高島屋の十銭ストアとして上陸し、ピーク時一〇六店。いまの百円ショップの直系の先祖です。ダイソーの矢野博丈は一九七二年、トラックの移動販売から始めました。「100円でええ」——値札を貼る暇がなくて客にそう答えたのが百円均一の始まりと、本人の死去を伝える記事の見出しになるほど定着した逸話です。戦略ではなく、事故でした。一方の本家、米国のウールワースは一九九七年に全店を閉じています。均一価格の発明者の店は消え、輸入した側の国でこの型は栄えている——商いの型は、生まれた場所に義理立てしません。
神話の訂正
100円ショップは、日本の発明だ
ウールワースの五セント店が一八七九年——四十七年あとの一九二六年に高島屋が「なんでも十銭均一売場」を開き、高島屋自身が米国のダイムストアを模したと記録しています。固定店舗の百円ショップも、日本初は一九八五年の愛知県のライフという小さな店で、ダイソーの直営一号店は一九九一年でした。さらに遡れば江戸に「十九文見世」(一七二二年ごろ)があります。均一価格は、何度も発明され直してきた古い商法でした。