利息の規制
ハンムラビ法典には、貸付の利率の上限が書かれています。穀物なら年に三割三分、銀なら年に二割。上限を超えて取り立てた貸し手は、元本も利子も没収されました。商いが生まれてすぐ、商いのルールも生まれています。石碑の実物はルーヴル美術館にあり(目録番号 Sb 8)、一九〇一年から翌年の冬に、イランのスーサで三つに割れた状態で見つかりました。バビロンではなくスーサだったのは、ハンムラビの死後、エラムの王が戦利品として持ち去ったからです。そしてこの型のいちばんの見どころは、石碑の上のほうの彫刻かもしれません。そこに彫られているのは、太陽神シャマシュが王に権威を授ける場面——隣の型(神殿貸付)の神と、同じ神です。利子を貸す側も、利子を規制する側も、同じ神の名で立っていました。もうひとつ、王には「ミシャルム(正義)」という切り札がありました。即位のときなどに債務を帳消しにする勅令で、ハンムラビは四回出しています。ただし帳消しになるのは庶民の借金だけで、商人どうしの取引は対象外でした。徳政は、商いを止めない形で設計されていたわけです。
神話の訂正
ハンムラビ法典は、そのまま裁判で使われた法律だった
利率の上限を刻んだこの石碑が、実際の裁判で条文どおりに適用された証拠は、ほとんど見つかっていません。近年は「王の正義を世に示す記念碑」として読むべきで、「法典(law code)」という呼び方自体が誤解を招く、という指摘があります。石に刻まれていることと、守られていたことは、別の話でした。