懸場帳
富山の売薬が置いていったのは、薬箱だけではありませんでした。帳面です。得意先の住所と名前、家族の構成、どの薬をいくつ置いたか、何を使ったか、持病は何か——面談で分かった暮らしぶりや近隣のことまで書き込まれています。ある帳面にはこう残っていました。「ご主人 酒席多し 熊胆丸」「奥さん 更年期障害 参寿丸」。一つの懸場に、およそ千軒。そしてこの型の芯は、次のところにあります。この帳面は、売り買いされました。値段は、得意先の権利(のれん代)が六割、預けてある薬の在庫が四割という分け方で決まり、集金率や戸数や密度で上下します。子が親から引き継ぐこともあれば、使用人が帳面を買って独立することもありました——のれん分けと、ほとんど同じ形です。一九〇二年には富山売薬信用組合が、この帳面を担保に金を貸しはじめます。名簿が、金融の対象になりました。証文の種類にも「懸場引當證文」——懸場を担保に入れる証文——が独立して立っています。争いも絶えませんでした。一九三三年、名古屋控訴院の司法資料に『売薬懸場帳に関する民刑訴訟の考察』という一冊があります。民事だけでなく、刑事の裁判にもなる資産だったということです。残っている売券(売り渡しの証文)のいちばん古いものは寛政四年(一七九二年)三月六日、いちばん新しいものは明治二十五年(一八九二年)十月十五日——ちょうど百年ぶん、名簿の売り買いの記録が残っています。いまはどうか。個人の帳主のもとでは、紙の懸場帳がまだ現役です。けれど法人になった会社では、中身はタブレットに移り、会社の財産になりました。帳面を持って独立する、という道は、そこで静かに閉じています。
神話の訂正
懸場帳は日本最古のCRMだ
「顧客のデータベースだった」という評価は学術にもあります。けれど「日本最古のCRM」という言い方が出てくるのは業界の実務系の記事のほうで、学術の出典が示されていません。当の帳面は、税務と集金と信用のための実務の台帳でした。三方よしが一九八八年の標語だったのと同じで、現代の言葉をあとから当てはめると、話は分かりやすくなるかわりに、実物から少しずつ離れていきます。CRMの先祖、という見立ては書きます。「最古の」とは書きません。