大量生産
T型フォードは、同じものを流れ作業で大量に作れば価格は落とせることを証明しました。一九〇九年に八五〇ドルだったツーリングは、一九一四年に四九〇ドル、一九二五年には二九〇ドルまで下がっています。十六年で三分の一。移動組立ラインは一九一三年の四月に部品単位で始まり、十月七日に車体そのものへ広がりました。組立にかかる時間は七二八分から九三分になります。ただし、この仕組みをフォードが発明したわけではありません。技師たち自身が、シカゴの食肉処理場が一八六〇年代から使っていた解体のラインを手本にしたと証言していて、彼らは自分たちのやっていることを「逆回しの解体ライン」と呼んでいました。ばらす順序をひっくり返すと、組み立てになる。ちなみに「客はどんな色でも選べる、黒であるかぎり」の一言も本当ですが、黒だけだったのは一九一四年から二五年までの期間限定です。初期のT型には青も赤もグレーも緑もあり、一九二六年の後半にはまた色が戻ってきました。
神話の訂正
五ドルの日給は、労働者が自分の作る車を買えるようにするためだった
当のフォードが自伝でこう書いています——「慈善は一切関係なかった。一日八時間で五ドルという支払いは、我々が行った最良のコストカットのひとつだった」。ラフとサマーズの研究(一九八六)が挙げる実像は、離職率三七〇%という労務の危機です。人が集まらなかったのではありません。求人には行列ができていました。辞めていく速さのほうが問題だったのです。ただし「労働者が客になる」という効果を、後年フォード自身が誇らしげに語ったのも本当です。主因ではなかった話が、いちばん有名になりました。