ペニープレス
一八三三年九月三日、ニューヨークの『サン』は一部一セントで売り出しました。ほかの新聞は五セントから六セントです。安売りの種明かしは広告でした。それまでの新聞は年間購読の前払いと政党からの資金で成り立っていましたが、サンは街頭で一部ずつ売り、費用は広告主が払う形に組み替えます。読む人が払わず、読ませたい人が払う——この三角形が、のちのラジオ・テレビ・検索エンジンまで続く「無料」の正体です。ただし「一セントの新聞」そのものが最初だったわけではありません。ボストンのトランスクリプトが三年早く、一八三〇年に出ています。そちらは年四ドルの予約購読で、街頭では売っていませんでした。サンが新しかったのは値段ではなく、街頭売りと広告収入を組み合わせたところです。三年後、パリの『ラ・プレス』が同じ構造をもっとはっきり言葉にしました——広告を入れるから購読料は半額にする、と。仕組みを先に始めるのと、仕組みを言葉にするのは、別の才能でした。
神話の訂正
「月の大嘘」で新聞は飛ぶように売れた
売れていません。一八三五年八月、サンは月に生き物がいると六回にわたって報じました。ところがサン自身が出した数字では、連載中の部数はむしろ一九,三六〇部に落ちています。直前の二六,〇〇〇部は、ライバル紙ヘラルドの印刷所が焼けたための一時的な山でした。祭りに沸いたのは、世間の記憶のほうです。そしてサンは、ついに正式な訂正を出していません。九月十六日に「事実ではないかもしれない」と婉曲に触れただけで、書いた記者本人が認めたのは五年後、別の新聞へ宛てた手紙の中でした。