楽市楽座
座の独占を外し、誰でも市で商えるようにする——楽市楽座は、日本史でいちばん有名な「場を開いた」実験です。安土の掟書は13か条あり、第1条が諸役と座役銭の免除、第2条は商人に城下の街道を通らせる義務、第13条は近江の馬の売買を安土に集める規定でした。免除だけでなく、人と物の流れを城下へ引き寄せる設計になっています。城下は6,000人規模の町になりました。開かれた場に人と物が集まる——その直感は、420年後のマーケットプレイスとよく似た風景を作ります。ただし直接つながる史料はないので、この地図では相似の水路として、私見の細い線を引いています。
神話の訂正
楽市楽座は信長が座を解体して自由市場を実現した政策だ
まず、天正5年(1577)の安土山下町中掟書に「楽座」という文字はありません。四字の「楽市楽座」が確認できるのは、9年早い永禄11年(1568)の加納市場宛の制札のほうです。次に「信長より六角定頼が先」という有名な訂正にも、さらに疑いがあります——1549年の文書は石寺新市が当時すでに楽市だったことを示すだけで、六角が始めたことまでは証明していません。そしていちばん大きいのは中身のほうです。近年の研究では、「楽座」の実態は座役銭の免除であって座という組織の解体ではなく、信長自身も別の座を保護し続けていました。研究者たちはいま、これを規制緩和ではなく「戦国大名による経済統制の組み直し」として読み直しています。通説をめくると、その下にまた通説がありました。