頼母子講
記録に残る日本最古の講が集めたお金の使いみちは、寺の風呂場の修繕費でした。1275年(建治元年)12月の高野山文書に「憑支(たのもし)」の名で現れます。仕組みは単純です。十数人が集まって毎回いくらかを出し合い、くじか入札で決めた一人がその回の全額を受け取る。全員に行き渡ったら解散する——期限のある会社のようなものでした。東日本では無尽、西日本では頼母子、沖縄では模合と呼ばれます。「母と子のように頼り合う」という有名な語源の説明は、「憑支」の当て字にあとから意味が重ねられたものらしく、諸説あります。おもしろいのは、幕府も諸藩もこれをたびたび禁止したことです。理由は二つ——誰が当たるかを賭けの対象にする賭博性と、人が定期的に集まること自体が一揆の温床になるという警戒でした。同じころ隣で流行っていた富くじも、元禄5年(1692)に「とみつき講」禁令、享保に寺社限定で公認(御免富)、そして天保13年(1842)に全面禁止という道をたどります。そして講は、いまも生きています。沖縄の模合は県民の過半が参加すると言われ、掛金100万円の大口や企業模合まであります。山梨では「無尽」が宴会の名前として残りました。四千年の商いの地図で、鎌倉時代の仕組みがそのまま現役なのは、この型だけです。
神話の訂正
無尽・頼母子講は、日本独自の相互扶助だ
まったく同じ仕組みが、世界中に独立して生えています。インドの chit fund、韓国の契(ケ)、西アフリカの susu、フランスの tontine、インドネシアの arisan。人類学者クリフォード・ギアツは1962年の論文「The Rotating Credit Association: A "Middle Rung" in Development」で、中国・日本・ベトナムを比べ、これらを ROSCA(回転型貯蓄信用講)というひとつの型として定式化しました。銀行のない場所で人が金を集めようとすると、人類はだいたい同じ形を思いつく——「三方よし」「先用後利」「共通ポイントは日本発」に続いて、この地図が見つけた4例目の「日本独自」です。