両替商
アゴラの両替台(トラペザ)で通貨を鑑定した専門職は、やがて預金を受け入れ、貸付を行い、都市を跨いだ受け渡しまでこなす銀行家になりました。この商売のいちばんの見どころは、それを回していた人たちです。パシオンは、奴隷としてアテナイに連れてこられ、ピレウス港の両替商のもとで主任書記として働きました。前三九四年ごろに解放されて在留外国人となり、主人たちの引退後に銀行と盾工場を引き継ぎます。盾千枚と三段櫂船一隻を市に寄進した功で、アテナイは彼と子孫に市民権を与える決議をしました。亡くなったときの資産はおよそ七十タラントン。妻のアルキッペは銀行の実務に通じていて、パシオンの死後、やはり元奴隷だった後継者フォルミオンと再婚して経営を続けます。当時の最先端の金融は、身分の制度の外側にいた人たちが回していました。デモステネスの法廷弁論には、この銀行の「利子のつく預金が十一タラントンあった」という数字まで残っています。訴訟の記録が、そのまま経営の記録になりました。
神話の訂正
銀行(bank)の語源は、ギリシャ語の「机(トラペザ)」だ
英語の bank はフランス語の banque、イタリア語の banco/banca を通って、古高ドイツ語の banc(ベンチ・台)に行き着きます。ギリシャ語の trapeza とは別の系統です。二つは「机が両替商の作業台になった」という発想が、離れた場所で同じように起きた例——語源ではなく、並行進化でした。