ベンチャーキャピタル
まだ売上も担保も無い会社に、他人から預かった金を託す。一九四六年六月六日、ジョルジュ・ドリオとMIT会長カール・コンプトンらが作ったARDCが、その最初の組織でした。機関投資家から公募で集め、専門の担当者が体系的に若い技術会社へ投じる——それまで富豪個人の道楽だったものが、ここで職業になります。この会社の成績が、この商売の本質をそのまま示しています。一九五七年、DECという若い会社に七万ドルを出して株式の七割を取りました。一九六六年の上場で、その持分は約三千八百五十万ドル。二十五年間の年率リターンは十四.七%でしたが、DECを除くと七.四%です。たった一件が、ファンド全体の成績をほぼ倍にしていました。多くが損を出し、ごく少数の大当たりが全体を支える——隣の帯の、十九世紀の捕鯨と同じ形です。ハーバードのトム・ニコラスは、ニューベッドフォードの航海のリターンの散らばりと、一九八一年から二〇〇六年のベンチャーキャピタルの散らばりを重ねて、驚くほど近いことを示しました。ただし、これは祖先ではありません。人も資本も契約書も、あいだで受け継がれてはいないからです。同じ問いに、同じ形の答えが、百年の距離を置いてもう一度立った——この地図はそう書きます。器のほうは一九五八年ごろに固まりました。有限責任、十年の期限、そして成功したぶんの二割。日本では一九七二年の京都エンタープライズデベロップメントが最初で、これは一九七九年に解散し、いま残る最古は一九七三年のジャフコです。
神話の訂正
「二と二十」は、ムダーラバやコンメンダや捕鯨の歩合制の直系の子孫だ
構造はたしかによく似ています。出資する側は失う額を限り、動かす側は成果に連動して受け取る。けれど、この三つを一本の系譜としてつないだ学術の論証は見つかりませんでした。業界では系図のように語られますが、いま言えるのは「同じ問いに、同じ答えが何度も、別々にたどり着いた」ということまでです。この地図は、そこに細い私見の線だけを引いています。